
妊娠を望まれる中で
親しい友人や親族の方が妊娠されたことを知ったときに
ほとんどの方がこころへの衝撃や動揺を体験されています。
「自分は自分だから。」
と、頭の中では考えるものの、
こころはモヤモヤしたり、ぐちゃぐちゃしたり、
からだがヒヤッとしたり、ドキドキしたりしていて、
とにかく冷静な自分でいられなくなると
多くの方からおうかがいしています。
そしてそのことに対して
「わたしの方が早く治療始めたのに先に妊娠するなんてずるい!」
「友達の喜びを一緒に喜んであげられない自分が嫌」
という思いが付随することで
余計に苦しみが増えていきます。
こういったことは、本当によくあります。
これが普通の反応と言っても過言ではないかもしれませんね。
ところで、唐突に思われるかもしれませんが、
仏教には、「二の矢」という教えがあります。
わたしたちに苦しみをもたらす矢には、第一の矢と第二の矢があって
第一の矢は、避けられないことによる苦しみを言います。
例えば、病気やケガ、ご不幸事もそうですし、
他人が妊娠していくこともそうとも言えるでしょう。
そういったことが矢となって受ける苦しみは自分では避けられないものです。
第二の矢は、第一の矢に対する思いや考え、こころの囚われによる苦しみなんですね。
病気になったときに、
「わたしが不摂生したからだ」「あの人にストレスを与えられたからだ」
と、自分を責めたり相手を責めたりする。
そういった怒りは更に
「どうしてそんなことをしたの?」「わたしを何だと思ってるの?!」
などと次の怒りを生み出していったりして、
こころがそのことから放れられなくなっていきます。
みなさんもこういった体験をなさったことがあると思います。
わたしもあります。
この「第二の矢」は、第一の矢とは違って
自分の受け止め方で避けることができると説かれています。
一本めの矢を受けた痛み、苦しみ、悲しみがある。
それはあるのですけども、
そこから更にいろいろ思ったり執着したりして二本めの矢を受けないように、
痛みがある、苦しみがある、悲しみがある、
そこで留まっておきましょうということなのです。
悟りをひらいた方は、二本めの矢は受けないでいられるそうです。
仏教では無我になる修行をしてますから
評価や判断、こころの執着を手放す力が養われるのでしょう。
わたしたちは修行をしていませんので、
すぐに、二本めの矢を受けないでいるようになることは
なかなか難しいかもしれませんが、
二本めの矢は自分で作り出しているものです。
もし何か「キーーーーッツ!!」となったり、
こころがいつもよりも静まらなかったり、
からだがいつもと違うよとサインを出してくれるときには、
「さて、今のわたしには、どんな矢が刺さっているのかしら?」
「どの痛みは一本めの矢で、どの苦しみが二本めの矢なのかしら?」
と、ご自分の状態を見つめてみられるだけでも、
少し客観視できて、こころにスペースが生まれるかもしれませんね。
公認心理師・臨床心理士 間塚