この間、同じ学校を卒業した人たちが会する機会がありまして、
当時よく一緒にいた同級生、先輩、後輩たちとお話していると、
「愛ちゃん!」(わたしの名前は愛です)とわたしを呼ぶ声がしました。
声の持ち主に顔を向けてみましたが、
卒業して20年は経っていることもあってか
顔を見ても、誰だか思い出せませんでした。
ただ、雰囲気から、彼女とはある程度親しかったはず!と感じました。
彼女は、あまり気負わないオープンな人で
おかげでわたしもそういうモードでいられた相手…
そういう肌感覚だけははっきり感じられました。
彼女に思い出せないことを伝えて、
「わたし、絶対知ってる!!
…ちょっと待って、当てたい!!」
と言って、しばらく思い出す時間をもらいました。
…でも…、本当に誰なのか分からない。笑
先輩なのか後輩なのかもわからない。
学生生活のどこで会っていたのかもわからない…。
脳をフル回転しても「あっ!」とつながる感じが全くなくて、
どこでよく会っていたのかヒントをもらってようやく
「あっ!〇〇ちゃんだ!」と、彼女と記憶がつながりました。
彼女は、わたしがすぐに思い出せなかったことに不満を言うこともなければ、
むしろ「すご~い!!よく思い出せたね~!!」と言ってくれました。
思い出してみると、わたしたちはそんなにたくさんの時間を共にしたわけではなかったのです。
でも、彼女との関係性を、カラダははっきりと感じとっていました。
このときの、脳はまだわかっていないけれども、
わたしのカラダはわかっている!という感覚が、
なんだかものすごく印象に残っています。
彼女が全然誰だかわからないのに、
カラダはちゃんと彼女との関係性を覚えていて、
いつも彼女と話していた話し方を
自動的に選んで話していたし、
彼女に「ちょっと待って!当てたい!!」と言っても
不快になるような彼女ではないことが
わかっていたのです。
こんなふうに、脳は明らかにしていないけど、
“なんとなく感じられる感覚”や
“カラダはわかっている感覚”って、よくあると思います。
「なんとなくこの道は行かないほうがよさそうな気がする」と、
感じたことありませんか?
「今、お味噌汁求めてるなあ~、すごく沁みそうだなあ~」と、
カラダが食べたいものを教えてくれるときがありませんか?
乗り物や部屋のイスに座るときも、
「どこに座ろうかな?」と自分に聞いてみると
居心地のよさそうなところをカラダが教えてくれたり、
居心地が悪いとカラダが落ち着かなかったりしませんか?
わたしたちの暮らしでは、脳でいろいろ検討して決定することが多いですが、
カラダだってたくさんのことを知っていますし教えてくれています。
カラダの声を聴いてみて
カラダの声に応えていくと
自分をやさしく労わることにつながるかもしれませんね。
臨床心理士・公認心理師 間塚