GWが終わりました。
お家でまったりな連休で
時間がたっぷりあったので、
ずっと気になっていた
幡野広志さんの “なんで、僕に聞くんだろう。”
という、ネット連載を読んでいました。
幡野広志さんは1983年生まれの写真家、狩猟家さんで、
2017年に多発性骨髄腫という血液のガンを発症され、
余命3年を告げられています。
幡野さんが病気のことを公表されると、
なぜだかガンの相談だけではない
ありとあらゆる人生相談が幡野さんのところに集まってきたので、
そういった相談に答えておられる連載が
“なんで、僕に聞くんだろう。” です。
幡野さんの答えは、
どちらかというと
「はっきり言いますね~」
という感じの答えなのですが、
相当細やかに
相談者さんや周囲の在り方に想像を巡らして
相談者さんへの想いや意見を仰っていて、
その真摯さにとても感嘆して読んでいました。
誰かの思考や気持ちはその人のもので
その人の気持ちはその人にしか分からないものですが、
誰かの似たような体験、似たような感情は
他にも思い当たる人がいるものです。
きっと、たくさんの人がこの連載を読んで
自分を勇気づけたり、
一歩踏み出そうと思ったり、
こだわることをやめたりしているのだろうなあ、と想像できます。
もちろん、私もそのうちの一人です。
この連載の中で、次のような内容の相談があります。
31歳のとき、不妊治療の末に授かった男の子を死産しました。
体外受精まで進んでも結果が出ないなかでの自然妊娠でした。
その後、仕事をやめて治療に専念しましたが、妊娠することはできないまま、35歳になりました。
治療期間は8年、費用はトータルで1000万にも及び、
そろそろ終了しなければならない、すべてやり尽くしてしまった、
そんな気持ちです。
精神的にも疲れました。ここまでなんだか色々なものを失いました。
喪失感を、治療を頑張ることで、先への希望で埋めてきたのです。
夫との仲は良好で、この先2人でもやっていける、と言ってくれます。でもなかなか元気が出ず、今でも塞ぎ込むことが多いです。
失った赤ちゃんを思って悲しいのか、罪悪感なのか、
努力した治療の結果が出なかったことを怒っているのか、
わからなくなります。多分全部です。
今は夫と仲良く過ごせるだけでも、幸せ。心からそう感じています。楽しくて2人で笑うことも多いです。
でも辛い気持ちは毎日のように襲ってきて塞ぎ込んでしまいます。
いつか楽になれる日はくるのでしょうか?(ポムポムプリン 35歳 女性)
引用:cakes「幡野広志の、なんで僕に聞くんだろう。」 2020年1月20日掲載
有料記事なのですが、
途中までなら無料で読むことができます。
幡野さんの回答は
幡野さんの言葉で読まれたほうがいいと思うので
ここでは控えておこうと思います。
私が変にまとめてしまって
本来伝えたかった幡野さんの想いが
幡野さんのものでなく伝わってしまう可能性を避けたいからです。
この記事を読んで、いろんなことを思ったのですが、
今日のブログはいつもより長いのに、感想まで書くと、
「え?どんだけスクロールするん?」
という長さになってしまうので、一点だけ書いてみます。
不妊治療のこともガン治療のことも
もしかしたら他のいろんなことも、
自分が経験している苦しさ、悔しさ、悲しさといったものは
経験していない人にわかってもらうのは難しいことじゃないか、と思います。
内容は違っても、
「誰にもこの気持ちは話せない」
「話しても分かってもらえない」
「話したら、全くそぐわないアドバイスをされる」
という経験は、多くの方がしているのではないでしょうか。
そういった経験はしているはずなのに、
誰かの相談にのるとき、
なぜだか、自分が相談する立場だったらば、
「この人に言わなければよかった」
と思うような聴き方になってしまうことがよくあると思うのです。
そうなってしまう理由のひとつは
「役に立ちたい」という想いだと思っていて、
そこで、「励ます」という行為が出てくるのですが、
誰かがが誰かを励ましているときって、
相手じゃなくて自分を正当化したい気持ちが
大きくなっているような気がします。
「励ます」ことって、
「頑張って!絶対大丈夫だから!」とか、
「少しくらい休んでみたらどう?」とか、
聴き手の “良かれと思って”を
言葉にのせることではないはずなのですよね。
本当に、相談した人は、
「励まして」ほしいのか。
自分がどういうふうに聴けば、
相談した人にとって
本当の励みにつながるのか。
そういった想像に力を入れると
本当に「役に立てる」かもしれないなあ、
ということを、記事を読んで考えていました。
臨床心理士 間塚