信田さよ子先生は
主に依存症やDV、アダルトチルドレンなどの
家族関係についての心理カウンセリングがご専門の
臨床心理士なのですが、
先生の本にこういったくだりがありました。
“別々の人間が「理解し合う」「わかり合う」なんて、
所詮無理な話だ。
「私」には理解できない「あなた」がいることを
認めないところから、
いろいろな問題が起こっていることに、
なぜ気づかないのだろう。”
“「話せば、理解し合える」
「私たちは理解し合っている」
などとよく言うが、
よくよく考えてみれば、
どちらかが一方的に
「理解させられている」場合が多い。”
“理解し合うために話し合う、
と言いつつも、
自分の論理を相手に理解させようと
強要している場合が多い”
*信田さよこ著 「タフラブ 絆を手放す生き方」株式会社dZERO より抜粋
みなさんは、この内容について、
どのように感じられたでしょうか?
信田先生のこのくだりは、
一流大学を出たあと就職活動に失敗して
バイトをしながら部屋にこもってパソコンをさわっている息子さんに対して、
「話せばわかり合える」という信念のもとにとられた
父親の言動について述べておられたことですが、
他にもいろいろな関係性にあてはまります。
親子関係はもちろんカップルでの関係や職場での関係においても
よく起きていることではないでしょうか。
「話し合いをしよう!」とする時に
「伝えたことをそのまま認めてほしい」
「伝えた通りにしてほしい」
という欲が実はあって、
相手に願った受け止め方をされなかったとき、
がっかりしたり
感情的になってしまったり
言い合いになってしまったりすることって
少なくないんじゃないかな、
と、想像しています。
話し合うときには
わかってもらおうと思わずに、
そして、感情的にならずに、
ただ、感じていること言いたいことを
伝えることが大事なんだそうです。
そこには自分と相手の間に
はっきりと境界線が見えると思います。
ところが、
子どもが親の帰属物であるかのように育てられたり
妻が夫の言いなりになっていたり
相手にはなんでもかんでも話してほしいと思ったり、
そういったお互いの境界線を守れない関係は
今もまだ繰り返されています。
境界線は、
自分が尊重されるためにも
そして相手を尊重するためにも
間に引かれていなければならない
大切な大切な線です。
なんだか息苦しく感じられたり
フラストレーションが溜まるような関係があったら、
ちょっと想像してみてください。
「わたしたちのこの関係性で
境界線はどんなふうに
ひかれているのだろう?」と―。
公認心理師・臨床心理士 間塚