連日、各メディアにおいて、
パリオリンピックの熱戦が
伝えられていますね。
その舞台にたどり着くまで
想像を絶するトレーニングや忍耐の日々を積み重ねて、
目指した本番の場でベストを尽くそうとされている
そんな選手や関係者のみなさんの姿をみると、
スポーツとは無縁のわたしも胸が熱くなります。
選手のみなさんそれぞれに
この大舞台での目標を掲げて挑んでおられると思いますが、
もしその目標がメダルということであれば
その結果に恵まれる方は
ほんの一握り、ですよね。
メダルには届かなくとも
自分の中にあるものは全て出せた方もおられれば、
自分にはもっと力があるのに出せなかったと
不完全燃焼に終わった方もおられるでしょう。
自分の人生において
大事な局面のためにどれほど準備をしていたとしても、
その時に思った通りにならないことはありますよね。
それに、その舞台に立つことも叶わないことだってあります。
オリンピックという舞台に限らず、
わたしたちの人生においても、
そういったことは訪れるものです。
ところで、曹洞宗の僧侶である藤田一照さんは、
このようなことをおっしゃっています。
“山には二つの登り方があって
ひとつは山頂に辿り着くことが最優先の「山頂到達型」です。
もうひとつは何型と言っていいのかはわからないけれど
たとえば、今ここで富士山に登ろうと思ったら
たとえそこが東京の自宅であっても
もう登山は始まっているという考え方です。
富士山に向かうという方向で一歩踏み出したら
その一歩はもう富士山に触れているという理解なんです。
このタイプの登山では
たとえ何かの事情で山頂には辿り着けなくても
登山の失敗にはなりません。
頂上に立つことだけが富士山登山なのではなく
そこに至る路に咲いている花や
ふもとでやっているお茶屋さん
たまたま出会う人たちも富士山の一部じゃないですか。
もしも修業や人生が最終の目的のために突き進むものだったら
その目的が果たせなかったらすべてが無意味だったということになってしまいます。
There is no way to happiness. Happiness is the Way.
これはベトナム人禅僧ティク・ナット・ハン師の言葉です。
「幸せに至る道などない。幸せであることが道なのだ」という意味です。
普通、僕らは幸せに至る道があると思っていて、
その道の果てに幸せが待っていると期待しています。
けれども、道が手段で幸福がその結果という関係にはなっていないんです。
wayとhappinessが別々になっているのではなくて
幸福が道になっている、幸せと道は一つなのです。
幸福は道の果てに待っているのではなく、
道を歩いている今の行為の中にすでにあるということだと思います。
その歩き続ける行為そのものが幸福なのであって、
幸福というはるか先のゴールに到達するために歩いているのではないのです。”
(インタヴュー記事をブログ用に一部抜粋、要約しています。
文末に掲載元を載せておきますので、ぜひ全文をご一読ください)
目標に向かってなにかを忍耐強く続けることは
とてもすばらしいことです。
やるべきことをやっても目標が叶わなかったとき
その瞬間には、いろんな感情や思いが押し寄せると思います。
その目標が叶うことが幸せだと信じて、進んできたわけですから。
ただ、その瞬間も含め
このプロセスの中で体験したことが
マルっとぜんぶ、自分にとっての道なんですね。
目標に向けて取り組んだ自分に
「よくできました」と感謝したり労って、
さまざまな体験ができた道に思いを馳せて、
また次の道で満ち足りたこころで過ごせるようにと願いながら
人生を折り重ねていけたら素敵だなと思います。
自分に対してそんなふうに
結果ばかりを求めるのでなく
一歩を踏み出したそのときから
「あらゆる体験を楽しんでね」と
やさしく関わることができたら、
他者に対しても同じような想いで
関われるような気がしています。
まずは、自分に、やさしく ―
*引用資料
藤田一照 「愉快な修業」 トイビト https://www.toibito.com/toibito/series/dc106f83-bac5-4757-8a2b-c905a8391a27
1.修業と悟り 2024.7.30
https://www.toibito.com/toibito/articles/%E4%BF%AE%E8%A1%8C%E3%81%A8%E6%82%9F%E3%82%8A
2.もうひとつの登山 2024.8.6
https://www.toibito.com/toibito/articles/%E3%82%82%E3%81%86%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%A4%E3%81%AE%E7%99%BB%E5%B1%B1
公認心理師・臨床心理士 間塚