学生の頃は、“仕方がない”というのは、
どちらかというと“あきらめてしまう”ような後ろ向きのイメージがありました。
その頃は、“あきらめること”と“あきらめざるを得ないこと”の違いが分かってなかったのでしょう。
「まだ努力の余地があるのに仕方がないって思うなんて…」と思うこともありましたし、
あきらめることを、“あきらめてしまう”と思っていたのだと思います。
心理士になると、いろんな症状や状況に困っている人の話をおうかがいします。
みんな症状を改善したいし、状況を快適にしていきたいのですよね。
本人さんには「なんでこういうことになったのかわからない」ことも多くて、
実際、不運なことが重なってしまっていることもあるのですが、
聴いていると「これはそういう症状が出てもおかしくない状況なんじゃないかな」、
「そういう心の状態になるのも仕方がないんじゃないかな」と思うことがほとんどです。
捉え方を変えてみると、自分の中でものすごく頑張って生きているんだけど
「今のままではしんどいですよ、ちょっと無理してませんか?」っていうサインを
しっかりと自分で出せているってことなのですよね。
そういったときに、「“仕方がない”というのはあきらめることではないのだなあ。
ただ“仕方がない”ということがあるのだなあ、」と実感できるようになりました。
草津レディースクリニックで、たくさんの方々に出会いました。
子どもを産んだ友達のお祝いに、子ども連れの友達と行く約束をしているけど
行きたくないと葛藤をしているという話は何度も聴きました。
葛藤と一言で言ってしまいましたがそれぞれ本当にいろいろな想いが渦巻いていて、
例えば、その友達はその方からすると“簡単に”子どもを授かったようにみえたり、
気持ちがしんどくても旦那さんに気を遣わせたくなくて「大丈夫」と言って過ごしていたり、
今まで周りの期待に応えて生きてきたので、「子どもまだ?」がすごく堪えていたり、
暮らしの中で妊婦さんを見たり小さいお子さんを連れている人をみると
気持ちが沈んだりイライラしたりしてしまって、そんな自分が嫌だと仰っていたりしました。
その人の想いを聴いていると、
その人は本当に頑張っているわけなんですよね。
周りの期待を感じながらも、身近な人には弱音を吐かずに、
いつも通りの明るくて優しい自分でいようと心がけておられたのです。
当時の私は、その人の状況を想像して、
「(自分の嫌な面が出てしまうことも)仕方がないんじゃないですか、こういう状況ですし」
と言った記憶があります。
すると「あ!仕方がないっていうのが、今すごくしっくりきました。
そうですよね。仕方がないですよね」と、すっきりした顔でおっしゃったんですよね。
「仕方がない」というのは、あきらめでもなんでもなくて、
“今の自分を認めてあげる”受け容れ方なんだなあ、と、
そのとき改めて思いました。
そういった受け容れ方が“前向き”なきっかけになることもあるのですよね。
みなさんは“仕方がない”という受けとめ方をされることがありますか?
*内容については、個人が特定されない程度に修正、変更しています。