この間、友人が怒っていたのです。
ざっくりした内容としては、
“私は迷惑かけないように
自分の仕事をしっかりしているだけなのに
職場の人から嫌味を言われることがある。
その人は私に気を遣ってくれない。”
というようなことでした。
ただ、すごく語気が荒いのに、
「私、めっちゃ怒ってる」
「私、めっちゃ腹が立っている」
とは、言わないんです。
「向こうも大変やとは思うし
こんなこと思ったらあかんのやけど」
って、言うんですよね。
友人がそう言うと、
私は思わず「え?!めっちゃ怒ってるのに?!」
と、言ってしまいました。笑
怒っているのに
「こんなこと思ったらあかん」って思っちゃうと、
心中ものすごく複雑じゃないですか。
だって、怒りは自分が確かに感じていることなのに…。
聴いていると、友人は、
自分が引っかかったことなんて気にならない人間でいたいとか
相手より年上だし理解のある余裕のある人間でいるべきとか、
そういう信念みたいのがあったようです。
こころはいろいろ引っかかったり、腹が立ったりしているけど、
頭で考える自分像は、そういったものも気にならないゆったりした自分で、
頭の中の自分像と自分の実感との間にギャップがあったみたいですね。
こういうことって
誰にでもあると思うんですよね。
よくおうかがいするのは
「友達が妊娠したって連絡があって
おめでとうって言ったけど
こころの中では全然そうは思えない。
おめでたいことなのに、喜べない。」
という内容なんですが、
こうするべきだと思うのに
気持ちがついていかないんだー!
っていうとき。
やっぱり、あると思うんです。
頭の中の自分像と自分の実感が
ぴったりしていたら
こころは安定しているはずなので、
そりゃあそういられたらいいのですけどね。
頭の中の自分像と自分の実感の差が
大きくなっていくと、
やっぱりこころは落ち着かなくなって、
自己嫌悪に陥ったり
周りを責めたり
不安になったりしていきます。
そういうときは、
まず感じていることを
ダメだとか思わないで、
「そう感じているんだなあ」
って、思ってみたらどうでしょうか。
そう感じている自分を
ダメって言っちゃうのは、
なんだかちょっと自分のこころを
無視しちゃっているような気がしませんかね。
頭の中の自分像は置いておいて、
今の自分がどんな状態か
もう一度見つめてみることが役に立ちそうです。
自分の現状にじっくり目を向けてみると
「私、なかなか頑張ってるやん」
「それは怒るのも仕方ないよね」など、
自分のことをちゃんと
捉え直すことができるかな、と思っています。
臨床心理士 間塚