この写真は1週間前に撮ったものです。
たった1週間でずいぶん桜の花は散り
青々しい葉が出てきていますね。
こんにちは。
さて、
友だちが妊娠したときの心情を巡るお話が
カウンセリングルームで
一番よくおうかがいするトピックのように思います。
「友だちが妊娠して
言葉ではおめでとうって言ったけど
内心喜べないんです」って、
今まで本当にたくさん聞きました。
そういう気持ちに自分がなることが
どうにも耐えがたくって、
泣くつもりはなかったのでしょうけど
感情がこみあげて
涙を流される人も少なくないんです。
私はいつも聞きながら思っていました。
本気で妊娠を願っている場合や
切実に妊娠を願っている場合は特に、
妊娠した友だちをうらやましく思う気持ちや
自分が置いていかれているような気持ちは、
自然と抱くものじゃないかな、と。
似たような出来事としては
友だちと同じ人に好意を寄せていて
相手の人が友だちを選んだ場合、
友だちと一緒に同じ職場に面接にいって
友だちだけ採用になった場合、
ものすごく気に入ったマンションが
売約済で契約できなくて
友だちがそのマンションに入っていた場合、
などが考えられますが、
いかがでしょうか。
そういったことは
これまでも起こったかもしれないし
これからも起こるかもしれません。
もしかしたらこの先、
友だちの子どもと
自分の子どもを
比べてしまうこともあるかもしれませんよね。
(親が子どもを誰かと比べると
子どもにとっては心が緊張しますし
条件つきで愛される体験になってしまうので、
こうなる事態は避けられることを願っています…)
「よそはよそ、うちはうち」
「他人(ヒト)は他人、自分は自分」
と、よく言われますよね。
きっと、そう思えず苦しいときがあるからこそ、
そういうふうに言い聞かすのではないかな、と想像しています。
また、「友だちに命が宿ったんだから!」と、
「命」や「生命」は絶対的に喜ばれるべきもの!と
ものすごく強く思っている方がおられるように思います。
受け継がれていく命を喜べない自分って
ものすごくこころがせまいんじゃないかって
自分にがっかりしたり自分を嫌になられてしまうんです。
友だちだからって
命や生命のことだからって
「こう思わなきゃいけない」
と、決まってはいないと思うんです。
その時々の、相手と自分との関係性や
自分の価値観、状況などから
素直な気持ちがわいてくるので、
今の自分にはその気持ちが本当だと思うんです。
「こういう時はこう思うべきなのに」とか
「こう思える自分でいたいのに」という自分には
ちょっと待っていてもらって、
今の自分が素直に感じることを
「そうかあ。私、この状況をそう感じるんだなあ」
と、否定せずに、今は可愛がって受けとめてみられませんか。
臨床心理士 間塚