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2024.09.10

ぜひとも、お気軽に、お話にいらしてくださいね。

 

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“Shrink~精神科医ヨワイ~”という漫画があります。

今、NHKでドラマ化されていることもあって

(精神科医ヨワイ役は中村倫也さん!)

ご存知の方もいらっしゃるかと思います。

 

ドラマや映画で精神科医や心理カウンセラーが出てくると、

現場のリアルな仕事ぶりや専門職として役に立っている様子が

描かれていないことの方が多い印象があったので、

Shrinkを読んだときは

「ついに!ちゃんと仕事内容が描かれている!」と思いました。笑

(ただ、患者さんと病院外で出会うことが偶然も含めて多すぎる気はしていますが、

 そこは目を瞑っています。)

 

みなさんはこれまでにいろんな症状に出合い、病院へ行ったことと思います。

発熱や腹痛で内科へ、じんましんで皮膚科へ、花粉症で耳鼻科へ

捻挫をして整形外科へ、病気かはわからないけど妊娠したくて婦人科へ…

では、精神科に行ったことはありますか?

精神科と心療内科は違いますが、心療内科はいかがでしょうか?

もしくは、心理カウンセリングに行ったことはありますか?

 

行ったことがある方、今行ってらっしゃる方も

もちろんおられるのですが、

きっと行ったことがない人の方が多いと思うんです。

(ちなみに、わたしは行ったことがあります~)

 

では、行ったことがないみなさん。

行ったことがないのはどうしてでしょうか?

行かなくちゃいけないような状態になったことがないからでしょうか?

ほんとに、そんなことはなかったですか??

 

アメリカでは精神科の受診率が日本より高いのですが、

 “ 「失恋した」

   「ペットが死んだ」

   「テストの点が悪かった」

    ちょっと落ち込んだら予約を入れて会う相手…

    彼らにとってそれが精神科医なんです  ” 

と、ヨワイ先生は説明しています。

ドラマバージョンでは

 “  「恋人と別れた」

    「上司に怒られた」とか

      ちょっと落ち込んだときに行くところ  ”

と、説明されていました。

 

そういった機会でしたら、

どんな方であっても、

人生の中で何度もあったはずなんですよね。

 

こころのことは

こころの持ちようで変わるとか

自力でなんとかできるって思ってしまったり、

もしくは自分の努力が足りなかったからだとか

自分がこういうふうによくなかったからだとか

そんなふうに捉えてしまって、

その道の専門の人には相談しないままということが

非常に多いのではないでしょうか?

 

Shrinkでは、動悸や頻脈、息苦しさという症状が出ている患者さんに

ヨワイ先生がパニック障害という病気の説明をする場面があるのですが、

“ 「鉄のメンタルって言われるくらい強い女なんですよ…」 ”

と言う患者さんに対して、

“ 「パニック障害は心が弱いからなる病気ではありませんよ。

 脳の誤作動です。」

 「心身が疲れすぎたという危険信号を受け取った脳が暴走しているだけです。

 もう十分頑張ったから休んでねって脳が教えてくれているんです。」 ”

と、説明されています。

 

どんなに穏やかな水面の湖があっても

石を投げられたら水面が大きく揺らぐのと同じで、

わたしたちのかこころやからだが

どれだけ健康であったとしても

何かがあったらそれなりの影響を受けるものです。

小さな石であったとしても水面は揺れますし

小さな石でもいくつか、また定期的に投げられていたら

揺れによる影響も大きくなるでしょう。

 

石の影響を受けるのは

決してその湖のせいではありませんよね。

石が投げられたら水面が揺れるのは自然の摂理です。

つまり、何かがあったときに、

「いつもの自分じゃないかも…」という状態になるのは

こころのせい、あなたのせいではありません。

人間の自然現象なんですね。

 

そんなふうな自分の状態については、

自力で治そうと思ったり

だましだましでつきあったりしないで、

専門とする人に「こんなことあったんです~」と相談に行くことは

理にかなった方法だと思うんですよ。

そのために精神科やそういった状況を相談できる場所があるのですから。

 

心理カウンセリングは

ちょっと落ち込んだりうまくいかなくて困ったときや、

「これからどんなふうに人生を選択していきたいか考えたい」

「わたしらしいってどういうことなんだろう?」

「自分がどういう人間なのか理解したい」

というような、人生の分岐点や決断に関するお話はもちろんですが、

 

それほど大きなことではないんだけど…と思われるような

些細な内容でも大丈夫なんですよ。

 

「カウンセリングなんておおげさだわ…」と思うようなことでも、

大切なご自分のことなのですから、

ぜひ、カウンセリングに来てお話いただけたら…と思っております。

 

 

出典: 作:七海仁 画:月子 「Shrink~精神科医ヨワイ~ 1 」 集英社

 

 

 

 

公認心理師・臨床心理士  間塚

 

 

 

 

 


2024.09.04

「ベースアップ評価料」についてのお知らせ

ベースアップ評価料

2024.08.30

こんなセッションを体験してみませんか?

 

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わたしたち臨床心理士は、

職質の向上のために

ざまざまな研修に参加し続けているのですが、

研修会によってはデモセッションをすることもあります。

 

この間も研修中に

参加者さんとお互いにセッションをし合ったのですが、

わたしが話し手(自分のこころを探索する側)のときの体験を

お話してみようかなと思います。

 

**********************************

まず、今、わたしが気になっていることをあげて、

そのうちの1つにトピックを絞りました。

 

わたしは、「やらなきゃいけないことを継続してできないこと」を選びました。

 

では、そのときのやりとりを

記憶を呼び起こしつつ書いてみましたので

読んでみてください。

 

聞き手(以下、Aさん):そのことを思い浮かべたときにどんな感じします?

話し手(以下、わたし):う~ん…。(どんな感じか探索して…)頭がイーーーッてなる感じ!

Aさん:頭がイーーーッてなる感じなんですね。

わたし:そう。うん、頭の命令に体が従ってくれないっていうか…

    (本当にそうかなあ…と考えている)

    ああ、なんかスイッチ押すじゃないですか、でも作動しないみたいな?

    半押しだったりとか、動かないとかもあって。

Aさん:では、そのスイッチに、名前をつけてください。

わたし:う~ん…(どんな名前が合ってるかなあ…と考えて)

    壊れたスイッチ??

Aさん:壊れたスイッチ

わたし:(壊れたスイッチで合ってるのかなあ…)

    いや、ちゃんと動くときもあるから壊れてはないか…。

    う~ん…(もっとぴったり合うものを考えている)

    あ、いちかばちかスイッチ!

Aさん:いちかばちかスイッチ

わたし:そうですね。スイッチを押してみないと、押せるのかどうか、わからない。

    押せる日もあるし、押しても動かない日もあるし、半押しみたいな日もあるし。

    どうなるかはいちかばちかです。

Aさん:ああ~。押してみないとわからないから、いちかばちかスイッチ!

    いちかばちかスイッチがあると気づいてみると、どうですか?

わたし:うん…。(いちかばちかスイッチを思い浮かべてみる)

    (すると、そんなスイッチがある自分がだんだんとおかしく感じられてくる)

    いやあ…なんだか、こういうのわたしらしいなあ…と思って、おもしろくなってきました。笑

Aさん:おもしろくなってきた

わたし:うんうん。(わたしらしいなあとおもしろく感じているわたしを、じっくり感じてみる)

    あ、なんか、でも、わたし、うれしいんです。

    そういう自分を、おもしろがれるんだなあと思って。

    うん、ああ、よかった!

    なんか、わたし、やらないといけないことをやれるようになるには

    どうしたらいいのかっていうところを考える方向になるかと思っていたけど、

    こういう落としどころになって、おもしろいし、うれしいです。

 

************************************

 

その日のやり取りを記録していたわけではないですし

特にAさんの応答は、もしかしたら創作しているかもしれませんが。笑

わたしのこころの展開は、だいたいこんな感じでした。

 

読んでみられても

「なんなん、この会話」って感じかもしれませんね。笑

 

この体験の何が、わたしにとってすごかったのかというと、

「いいやん、そういう自分がいておもしろいって思ってみたら?」

と、誰かに言われたわけでもなく、

また、頭で考えて「そう思おう!」と導き出したわけでもなく、

自分の実感を確認していたら

自然と「そのことがあることをおもしろいと思えるわたしに気づいた」ことです。

 

その気づきによってより自分を理解できたし

より自分をいとおしく思うことができました。

 

そして、わたし、気になっていることの具体的な説明は

一切していないんですよね。

相談内容をあまり詳細を話したくない場合に最適です。

 

この一見わけのわからないようで

実はとっても価値のあるセッションは、

話し手がしっかり自分の実感にチャンネルを合わせて

その体験を言葉にしていったことと、

話し手が実感や体験を言葉にできるように

聞き手がちゃんと聞いていること

この両者の響き合いで出来上がっています。

 

「この話題を話したら何に気づくか試してみたいなあ」

という方がおられましたら、

ぜひカウンセリングにいらしてくださいね。

 

 

 

臨床心理士・公認心理師 間塚

 

 

 


2024.08.23

わたしの中の、“べき子”さん。

 

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わたしたちは、様々なことに対して

価値判断を下していたりします。

 

「こういうときは〇〇すべき」

「こういう場合は〇〇してはいけない」

「もっと〇〇しないといけない」

「相手が悪い」

「わたしがかわいそう」

「それはいいことだ」

「こっちの方が正しい」… …

 

例をあげたらキリがないんですが、

常々こういった思考で

物事を、人を、状況を見ているといっても

過言ではないのではないでしょうか。

 

SNSでの炎上やトラブルにおいても

一人ひとりの価値判断があおられてしまって

炎を大きくさせているように感じています。

 

さて、ブログにも書いていましたが、

わたしは、6月から8月の初旬まで

マインドフルネスストレス低減法(MBSR)

というプログラムに参加していました。

 

マインドフルネスは、

“価値判断することなく、今、この瞬間に、意図的に注意を向ける”こと、

また、そのことによって湧きあがる気づきの状態を意味しています。

もう少しかみ砕いてみると、

日々の心配事や不安、

さっきあったことやこれからの予定、

他人からの評価などといった

つい頭に浮かんでくるようなことにとらわれず、

“今この瞬間の体験”だけに意識を向けるという精神状態を

意図的につくっていくプラクティスです。

 

主な手法は毎日の瞑想になるのですが、

この“価値判断することなく”というのが難しく、

瞑想中に何か考え事が浮かぶのは当たり前のことなのですが、

「瞑想中に考え事が浮かぶなんて、注意力が足りないんじゃないか」

なんて評価を、わたしはしてしまっていました。

(後半になって、そのことも含むまるっと全部がその日の瞑想体験だと思うようになりました。)

 

また、これもプラクティスの一環なのですが、

日常生活において、不快な想いをしたときに

“思いや考え” “感情” “身体感覚” それぞれに注意を向けるようにしてきました。

すると、イライラしたり怒っているときって

わたしの価値判断の中では

「そうすべきではないこと」が起こっているときだと気づきました。

 

「そんなことしたら迷惑じゃない?」

「そんな言い方しない方がいいんじゃない?」

「もう少し相手の気持ち考えた方がいいんじゃない?」

なんてジャッジをしていて、イライラしているわたしがいるのです。

 

わたしはこのジャッジしているわたしを

わたしの中の“べき子さん”と名付けました。笑

 

こういったときは、

①べき子さんに気づいておいて、

「今、この瞬間」に注意を向け直します。

(主に呼吸や身体の感覚に注意を向けます)

 

また、

②その状況から離れるなどをして、

この不快さと距離をとれるように行動することもできます。

 

もしかすると、

③べき子さんと向き合ってみるというのも

選択肢のひとつとして考えられるかもしれません。

「べき子さんって、姿があるとしたらどんな姿しているんだろう?」

「べき子さんに、何があったらよさそうだろう?」

「べき子さんは、わたしに何を伝えようとしているのかなあ」

なんて、べき子さんと対話をしてみるのもいいかもしれません。

 

とにかく、自分に何が起こっているのかを

意識するということから始まります。

こういった注意の向け方を続けていくことが

ストレスに圧倒されないこころを育てていくようですよ。

 

 

 

公認心理師・臨床心理士  間塚

 

 

 

 


2024.08.10

ひとつの目標の結果だけでなく。

 

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連日、各メディアにおいて、

パリオリンピックの熱戦が

伝えられていますね。

 

その舞台にたどり着くまで

想像を絶するトレーニングや忍耐の日々を積み重ねて、

目指した本番の場でベストを尽くそうとされている

そんな選手や関係者のみなさんの姿をみると、

スポーツとは無縁のわたしも胸が熱くなります。

 

選手のみなさんそれぞれに

この大舞台での目標を掲げて挑んでおられると思いますが、

もしその目標がメダルということであれば

その結果に恵まれる方は

ほんの一握り、ですよね。

 

メダルには届かなくとも

自分の中にあるものは全て出せた方もおられれば、

自分にはもっと力があるのに出せなかったと

不完全燃焼に終わった方もおられるでしょう。

 

自分の人生において

大事な局面のためにどれほど準備をしていたとしても、

その時に思った通りにならないことはありますよね。

それに、その舞台に立つことも叶わないことだってあります。

 

オリンピックという舞台に限らず、

わたしたちの人生においても、

そういったことは訪れるものです。

 

 

ところで、曹洞宗の僧侶である藤田一照さんは、

このようなことをおっしゃっています。

 

 “山には二つの登り方があって

  ひとつは山頂に辿り着くことが最優先の「山頂到達型」です。

  もうひとつは何型と言っていいのかはわからないけれど

  たとえば、今ここで富士山に登ろうと思ったら

  たとえそこが東京の自宅であっても

  もう登山は始まっているという考え方です。

  富士山に向かうという方向で一歩踏み出したら

  その一歩はもう富士山に触れているという理解なんです。

  このタイプの登山では

  たとえ何かの事情で山頂には辿り着けなくても

  登山の失敗にはなりません。

 

  頂上に立つことだけが富士山登山なのではなく

  そこに至る路に咲いている花や

  ふもとでやっているお茶屋さん

  たまたま出会う人たちも富士山の一部じゃないですか。

 

  もしも修業や人生が最終の目的のために突き進むものだったら

  その目的が果たせなかったらすべてが無意味だったということになってしまいます。

 

  There is no way to happiness. Happiness is the Way.

  これはベトナム人禅僧ティク・ナット・ハン師の言葉です。

  「幸せに至る道などない。幸せであることが道なのだ」という意味です。

 

  普通、僕らは幸せに至る道があると思っていて、

  その道の果てに幸せが待っていると期待しています。

  けれども、道が手段で幸福がその結果という関係にはなっていないんです。

  wayとhappinessが別々になっているのではなくて

  幸福が道になっている、幸せと道は一つなのです。

  幸福は道の果てに待っているのではなく、

  道を歩いている今の行為の中にすでにあるということだと思います。

  その歩き続ける行為そのものが幸福なのであって、

  幸福というはるか先のゴールに到達するために歩いているのではないのです。”

 

(インタヴュー記事をブログ用に一部抜粋、要約しています。

 文末に掲載元を載せておきますので、ぜひ全文をご一読ください)

 

 

目標に向かってなにかを忍耐強く続けることは

とてもすばらしいことです。

 

やるべきことをやっても目標が叶わなかったとき

その瞬間には、いろんな感情や思いが押し寄せると思います。

その目標が叶うことが幸せだと信じて、進んできたわけですから。

 

ただ、その瞬間も含め

このプロセスの中で体験したことが

マルっとぜんぶ、自分にとっての道なんですね。

 

目標に向けて取り組んだ自分に

「よくできました」と感謝したり労って、

さまざまな体験ができた道に思いを馳せて、

また次の道で満ち足りたこころで過ごせるようにと願いながら

人生を折り重ねていけたら素敵だなと思います。

 

自分に対してそんなふうに

結果ばかりを求めるのでなく

一歩を踏み出したそのときから

「あらゆる体験を楽しんでね」と

やさしく関わることができたら、

他者に対しても同じような想いで

関われるような気がしています。

 

まずは、自分に、やさしく ―

 

 

 

*引用資料 

 藤田一照 「愉快な修業」 トイビト https://www.toibito.com/toibito/series/dc106f83-bac5-4757-8a2b-c905a8391a27

 1.修業と悟り 2024.7.30

 https://www.toibito.com/toibito/articles/%E4%BF%AE%E8%A1%8C%E3%81%A8%E6%82%9F%E3%82%8A

 2.もうひとつの登山 2024.8.6

https://www.toibito.com/toibito/articles/%E3%82%82%E3%81%86%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%A4%E3%81%AE%E7%99%BB%E5%B1%B1

 

 

公認心理師・臨床心理士  間塚

 

 

 

 

 


2024.07.27

受け取ったことを伝えるという贈り物。

 

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今、“ルックバック” というアニメ映画が公開されています。

わたしは、エンドロールが終わっても、

すぐには立てないくらいのインパクトのある映画でした。

もし、これからご覧になられる方がおられましたら、

今回のブログは観てから読まれるほうがいいかもしれません。

 

主人公の藤野さんは

漫画を描くのが得意な小学生の女の子で、

学級新聞の4コマ漫画を任されていて

級友たちからも漫画を楽しみにされている存在でした。

 

ところが、ある日、学校に来ていない京本さんという女の子の

圧倒的な画力を目の当たりにして衝撃を受けます。

そして、この日から藤野さんの努力の日々が始まります。

 

藤野さんは、友達とも遊ばす家族の団欒にも加わらず、

ただコツコツコツコツと

絵が上手になることだけも目的に努力を続け

描き終えたスケッチブックが何十冊も積み上がっていきました。

 

ところが、絵を描くことだけに労力を注ぎ続けたものの

京本さんの画力に追いつけないと悟った藤野さんは

漫画を描く階段を上ることをやめました。

 

卒業式の日、ひょんなことから

藤野さんは京本さんと初めて顔を合わせました。

すると、そこで、

京本さんが、実は藤野さんの漫画のファンで

藤野さんをものすごく尊敬していたことを

伝えてきたのです。

 

そのことを聞いた藤野さんの

なんとも言葉では言い表せない

身体に広がり、収まりきらない飛び上がるような感覚!

今も私の身体にも広がるような感じがあります。

 

また、これと似たようなことで、

先日知人に誘われてライブに行ったんですけど、

その前日にB-DASHというバンドのメンバーだった

GONGONさんの訃報を目にしていまして、

ライブのMCでそのことに触れられて、

「僕が初めてコピーした曲、B-DASHの “炎” だったんですよ」と。

 

「それで、このバンド始めて4年目くらい?に作った曲に、

 『この曲めちゃくちゃいい曲っすねえ!』って

 GONGONさんがバンドにメール送ってくれて。

 僕も『初めてコピーした曲、炎なんです』って返信したりして。

 すごい気さくでいい人だったんですが、

 あのとき、自分が好きなバンドの人に、

 『この曲いいね』って言ってもらえて、

 ものすごく自信になったし、続けてこられたなあって」

というようなことを、語っておられました。

 

自分がものすごく一生懸命に生み出したものを、

思ってもみないところでしっかり受け取ってくれた人がいて

そして「そんなふうに受け取ったよ。こんなふうに響いたよ。」

と、伝えてもらったことが、

そのあとをどれくらい支えてくれたり

どれくらい背中を押してくれるのでしょうか…。

 

そういったこころのやり取りって

代えがたい贈り物ですよね。

 

「いいな、響いたな、素敵だな」って思ったことがあったら、

その受け取ったエネルギーを伝えていくことで

思わぬ何かが届いていることがあるかもしれませんね。

 

 

それにしても暑い日が続きますので

みなさんくれぐれも無理せずにご自愛くださいね。

 

 

公認心理師・臨床心理士  間塚

 

 

 

 

 

 


2024.07.17

“ 受容 ” と、自分に「いいね」

 

 

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こころのケアや自己成長などを目的とした

記事や書物を読んでいると、

“ 受容 ” という言葉をよく目にすると思います。

みなさんは、この “ 受容 ” について

どういった印象をおもちでしょうか?

 

受容って、漢字で書くと

“ 受け容れる ” と書くこともあって、

思い浮かべると胸がざわざわするような

出来事や特定の人のことから

目に映るもの全てについて

受け容れていく器が必要なんだ!みたいな

そういう印象がありませんか?

 

受容って、 “ 認めること ” なんだそうですが、

そういう出来事や人を、というより、

そういう出来事や人のことを思うと

混乱したり不快になっている自分がいるということ、

そのことを認めるっていうことなんですって。

 

それでね、わたしたちって、

嫌なことや苦しいことがあると

「頑張って乗り越えましょう!」

みたいな価値観って

どこかにあるかもしれないんですが、

「『嫌だなと思うことは遠ざけることもできるよ!』

という選択肢もあるって、自分に提示できるよ」

ということでもあるんですね、受容って。

 

無理矢理、身の丈に合わない器を作ろうとするんじゃなくて、

等身大の自分に嘘をつかないってこと、

等身大の自分に必要なことをしてあげるっていうことなんですね。

 

そういえば、タレントのふかわりょうさんが、

2017年8月に書いておられた東京新聞のコラムを

なぜか最近目にすることがあったのですが、

「いいねなんて、いらない」というタイトルだったんです。

 

とても素敵で人間性の伝わる文章なので

検索したら全文読めますし

興味がある方は是非全文をご覧いただきたいのですが、

このコラムには

“自分の人生が幸せだと実感したい。

  みんなに幸せだと言われたい。

  そんなことは周囲が決めることではないのに。”

“人の「いいね」よりも

 自分の「いいね」、が一つあればいい。”

と、書かれています。

 

自分が幸せであるかどうか

自分で自分に「いいね」と感じるかどうか、

これはあくまでも自分の実感で判断されることなんですよね。

 

周りのいいねに合わせたり

周りからの評価に敏感に反応したりすると、

ほんとうの自分自身とは離れたところに

自分の幸せの判断ができあがってしまいます。

 

今の等身大の自分、ありのままの自分を

自分が認めていくというところから

始めていきたいですね。

 

*ふかわりょう「いいねなんて、いらない」 2017.8.19 東京新聞より 一部抜粋

 

 

 

公認心理師・臨床心理士  間塚

 

 

 

 

 

 


2024.07.05

“わたし”に、やさしく興味をもって関わってみる。

 

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わたしたちって、犬や猫などと一緒に暮していたら、

きっとものすごく愛情をもってかわいがるし

何か怒るようなことをしたとしても、こころの中では

「仕方ないよねえ。そうしたかったんだもんねえ。おもしろいよね。」

なんて思っていたりすると思うんですよね。

 

そんなふうに動物に関しては慈しみ上手なわたしたちですが、

自分自身に関しては慈しみ下手なんじゃないかなあ、

と、感じています。

みなさんは“自分のことを慈しむ”って、

どんな状態と想像されるでしょうか?

 

慈しむには、

“愛情をもって大切にする”

“かわいがって大事にする”

というような意味があります。

 

みなさんはそんなふうに

ご自分に対して

やさしく、愛をもって、

かわいがったり興味をもって関わっておられるでしょうか。

 

例えば、お風呂に入っているときや眠る前に

今日一日を振りかえってみたとします。

 

さて、どんな出来事が浮かぶでしょう?

 

もしいつもと違う何かがあった日だったら

そのことがまず浮かぶかもしれません。

 

仕事で頑張っていた企画が通ったり

お客さんとの対応で楽しかったことなど

うれしかったことも浮かぶかと思います。

 

一方で、マナーの悪い人をみて不快な気持ちになったり、

誰かのご自身に対する態度が引っかかっていたり、

思ったように時間が使えなくて不全感があったりなど、

嫌なことや不快なことも浮かぶかと思います。

 

そんなふうに振り返ってみたときに

「こうしたらよかったのに、できなくて申し訳ないな」

「あのとき、私がこういう態度だったからよくなかったな」

「明日のお弁当のおかず、また作れなかった…ダメだなあ」

なんて、どこかご自身を責めてしまうような

そんなふうな思いが自然と浮かんでくることがあるかもしれません。

 

おそらく、日本人って、

そういった自分を責めがちな傾向があると思うんです。

 

全然、責めることなんてないのに…

と、思いませんか?

 

こういうときに

「ダメだよ」って関わるのではなくて、

「そのことを、次からは工夫できるってことに気づいたんだねえ!」

「わたしって、こういうことが気になるんだなあ。

 そういう自分って、なんか、ものすごく自分の事が好きなんだなあ。

 そんな自分ってかわいいじゃない!」

って、自分にやさしく、自分に興味をもって関わることもできます。

 

自分にやさしく

自分に興味をもって

自分をかわいがって

自分を愛おしく思って

自分と関わる。

 

そんなふうに関われたら

ギュっと固まっていたこころが

本来の自由さと取り戻して

より自分らしくいられるようになって、

結果的には社会とも適当に関わりながらいられるように感じています。

 

ここまで書いて、

そういえば、樹木希林さんが

「おごらず、人と比べず、面白がって平気で生きればいい」

と、おっしゃっていたことを思い出しました。

 

そんなふうに、いろんな自分を面白がって

自分を慈しんで過ごしていけるといいなあと思います。

 

 

 

公認心理師・臨床心理士  間塚

 

 

 

 

 

 


2024.06.26

今日よかったことを3つあげるとしたら、どんなことですか?

 

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一日の終わりに今日を振り返って

3つの良かったことやうまくいったことを

書き留める習慣を続けるという

wellbeingを増進する方法があります。

 

これは、TGT(Three Good Things)という方法で、

良いことが起こった理由や

自分がそのことにどのように関与したのかということも

書く場合もありますし、

簡単に良かったことだけを書き留める場合もあるようです。

(Seligman, Steen, Park & Peterson,2005)

 

これを続ける(例:一週間)ことによって

不安や抑うつ感が低減されて

幸福感が高まるという効果があると報告されています。

 

この間、心理学の先生に聞いたのですが、

私たち人間の脳は

ネガティブなことをエサにする傾向があるそうです。

 

不快なこと、嫌だったこと、

悔しいこと、悲しいこと、腹立たしいことは、

なかなか脳内から去ってくれず、

ふとした瞬間にその出来事のことを考えてしまいます。

どちらかというと、そういった出来事の方が

キャッチしやすく覚えています。

 

みなさんも心当たりがありませんか?

家族や親しい人とお話するときに

今日良かったことやうまくいったことか

今日のグチ、

どちらが多そうでしょうか?

ちょっと思い返してみてください。

 

よかったことやうまくいったことは

気づきにくいところもあるので、

探すのに工夫がいる日もあるかもしれません。

 

また、もしかしたら、そういったことは、

わたしたちの “あたりまえ” の中に

隠れていることも多いかもしれませんね。

 

良かったことやうまくいったことを

ただ思い返すだけでなく

書き留めておくことで、

「こういうことがあった」

と、目に見えて確認できますし、

あとから見返して

何か大事なことに気づくかもしれません。

 

もしよろしければ

3つの良かったことやうまくいったことを

書き留める習慣を取り入れてみませんか?

ご自分で意識している以上に

良かったことやうまくいったことがあることに

気づいていかれるかもしれませんし、

そのことがあなたにとって

なんらかの支えになるかもしれません。

 

参考文献:塩谷亨 「ポジティブエクセサイズTGT(Three Good Things)を巡って」 

     心理学の諸領域Vol.10 No.1 P61-78 ©北陸心理学会2021

 

 

 

 

公認心理師・臨床心理士  間塚

 

 

 

 

 

 


2024.06.18

3つのゾーンのお話。

 

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前回のブログで少し書きましたが、

今、わたしは、マインドフルネスストレス低減法というプログラムに参加しています。

そのプログラムの中で、ゾーンの話を聞いたので、

ここにご紹介したいと思います。

 

図2

 

マインドフルネスの指導者さんから

「“心地よい領域(comfort zone)”

 “チャレンジ領域(challenge zone)”

 “対処困難領域(overwhelm zone)”

 という3つのゾーンがあって、

 今取り組んでいることが

 どのゾーンにあてはまるのか気づいておくと

 役に立ちますよー!」

と、教わりました。

 

例えば、ストレッチで例えると、

「うんうん、気持ちいい~」が、心地よい領域

「あ~、痛気持ちいい~」が、チャレンジ領域

「痛たたたたっ、無理無理、つらい~」が、対処困難領域なのだそうです。

 

もし、自分が対処困難領域に向かっているのならば、

そのまま向き合ったり乗り越えるのは難しいですから、

工夫が必要になるでしょう。

がむしゃらに乗り越えようとせずに

「無理はしないこと」を選択することも

ひとつかもしれませんね。

 

真ん中のチャレンジ領域が、一番学びが大きな領域だそうです。

この領域を続けていくことで

最初この領域にあったことも、

心地よい領域に移っていくかもしれません。

 

このゾーンの話は

ストレッチや身体のことはもとより、

こころのことや

生活のことなどにも汎用できます。

このゾーンの眼鏡をもって

いろいろなことがらについて

今の自分がどのゾーンにいるのか

確認してみることができます。

 

私たちは生活のあらゆることについて

無意識のうちに

いつもの自分のありようで

すすめてしまうこともあると思います。

 

「心地よい領域にいるなあ」という場合

何か違った要素を取り入れてみられたり

さらに世界を広げてみられるのもいいのかもしれませんね。

 

こんなふうにゾーンに気づいておくことで

自分をより広げたり深めたりすることができます。

きっと、自分に無理をさせすぎずに

自分が成長していくようなあり方を、

自分で選んでいくことができるように感じています。

 

もしよろしければ

ぜひみなさんもゾーンの眼鏡を

かけてみられませんか??

 

 

 

 

公認心理師・臨床心理士  間塚

 


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